東京高等裁判所 昭和41年(ネ)556号 判決
〔証拠〕を綜合すれば次の事実を認め得る。すなわち、伊東市の観光事業開発に資するため、同市議会および同市長賛同の下に昭和二五年三月訴外会社が設立され、野球場および競輪場を建設することになつた。訴外会社は、当時の市長石川哲(控訴人石川完一の亡父で、当時本件土地の共有者の一員であつた)の尽力で、上記判示のとおり本件土地を賃借し、本件土地と同会社所有の伊東市岡字下窪一九四番の一、同番の三の土地五九五坪とに跨り野球場の建設に取りかかつたが、資金不足のため工事半ばにして中絶のやむなきに至つた。しかるところ、伊東市のスポーツ関係者から野球場建設の強い要望があつたため、石川哲および訴外前島巖政らが奔走した結果、右訴外会社から野球場を分離して別途に経営せしめることを目的として昭和二七年五月二日被控訴会社が設立され、石川哲が初代社長に就任した。被控訴会社は、上記判示とおり訴外会社から本件土地の賃借権の譲渡を受けるとともに、上記五九五坪の土地を賃借し、昭和二八年中に野球場を完成し、昭和二九年中には野球選手や見物客のための温泉旅館を建設し、上記判示のとおり本件土地上に原判決末尾添付第二目録記載の各物件を所有するに至つた。石川哲はもと伊東市長で、当時、本件土地の地主の一人でもあり、また訴外会社の重役でもあつたから、関係者一同の信用も厚く、同人が社長在任中は他の地主も対会社関係の事務は殆ど同人に委せきりであつたため、訴外会社の賃借当時はもちろん、被控訴会社が本件土地の賃借権の譲渡を受けた後においても、地代その他の賃借条件について約定はなにもなされたことはなく、また、被控訴会社の経営も不振だつたので、地主側からもとりたてて賃料の要求もなくして経過した。しかし被控訴会社の当時の社長石川哲は、いつまでも賃料額を定めないのは当を得ないものであるとし、昭和二九年二月頃地主側との間に本件土地の賃料を上記判示のとおり一ケ年一坪当り金六〇円の割合による金四四四、三〇〇円と協定し、被控訴会社は昭和三三年六月頃昭和二七年度分の賃料を支払つた。しかるところ、被控訴会社が昭和三二年一二月二一日訴外会社との間に上記土地五九五坪の賃料を一ケ年一坪当り金八〇円に増額する旨の協定をしたことを聞知した地主側から昭和二八年度以降の賃料の支払ならびに賃料値上の要求がなされたため、昭和三三年六月頃から被控訴会社と地主側との間に数次に亘り折衝がかさねられた。右数次に亘る折衝中、昭和二八年度以降の賃料は毎年六月と一二月の各末日に一年分宛を支払つて順次滞納を解消するとの点については、双方の意見の一致を見たが、賃料値上げ並びに賃借期間などについて意見が分れたため、右折衝は最終的な合意に至らず、昭和三四年一月頃中断状態となつた。しかし、被控訴会社は、右折衝により昭和二八年度以降の賃料は毎年二年度分宛を支払つて滞納を解消することについては双方の合意があつたものとし、この趣旨に従つて滞納賃料を解消せんと思料し、昭和三三年一二月末頃前記判示のとおり昭和二八年度分の賃料を支払つた。昭和三四年二月二八日石川哲が死亡するに及び、地主側は従来の態度を一変し本件土地の賃貸借契約を解除するに如かずとなし、その結果、同年六月二日突如として上記催告がなされるに至つた。右催告は、同日午前一一時三〇分頃控訴人斎藤哲三方の支配人服部忠吉を使者として当時の被控訴会社代表者前島巖政の自宅において同人に封書を直接手交してなされたものであるが、服部忠吉から右封書の内容を告げなかつたため前島巖政は、右封書が延滞賃料の催告であるとは察することができず、かつ外出の必要に迫られていたので、翌日開封したところ、延滞賃料の請求で、かつ、その期限も同月五日までという短いのに驚き、被控訴会社の支配人である佐藤秀吉らをして控訴人斎藤哲三に対し同月末までの猶予を乞うたが拒絶された。そこで、被控訴会社の役員らにおいて賃金調達にとりかかつたところ、同月六日本件解除の意思表示がなされたものであるが、前島巖政始め被控訴会社の役員らは、前記催告には期限までに延滞賃料の支払なきときは本件土地賃貸借契約を解除する旨の警告の趣旨はなにも記載されていなかつたし、また従来の関係から催告期限の徒過により地主側が直に解除の意思表示をなすとは予想だもしなかつた。本件解除の意思表示がなされた昭和三四年六月六日は土曜日であり、翌七日は日曜日であつたが、被控訴会社は当時後記のように苦しい経済状態にあつたにも拘わらず、役員らの奔走の結果ようやく延滞賃料額相当の金員を借入れ、これを訴外日本相互銀行伊東支店に預け入れて同支店から上記判示の金額二二二万一、五〇〇円の小切手一通の振出を受け、前島巖政および被控訴会社の監査役池田誠一らにおいて同月八日控訴人斎藤哲三方に赴き同控訴人に対し辞を低くして催告期間を経過したことを詑びるとともに、延滞賃料として右小切手の受領方を懇願したが、控訴人斎藤哲三は催告期間が経過したという理由だけで、その受領を拒絶したので、被控訴会社は、上記判示のとおり同月一〇日金二二二万一、五〇〇円を弁済のため供託した。被控訴会社は設立以来経営が苦しく、これまで株式の配当をしたこともなく、役員に対する報酬の支払もできぬ状態が続いており、上記催告を受けた当時も出入り商人の支払に当て得る程度しか手持金がなかつた状態であり、控訴人らのうち石川完一、佐藤昇、佐藤吉兵衛、斎藤哲三らは被控訴会社の株主でもある関係から、控訴人らは被控訴会社の右のような実情は十分知つていた。ところで、被控訴会社は本件土地上の野球場建設に約一、五〇〇万円、旅館建築に約一、五〇〇万円、旅館備品に約一、〇〇〇万円を投資し、野球場ならびに旅館の経営を続けてきたところ、一時は約一、三〇〇万円の欠損を計上しているが、昭和二九年頃一般旅館営業を始めるようになつてから、徐々に経営好転の兆がみられる。右野球場施設は、日本職業野球連盟の公式戦を始めとし、職業野球チームのキヤンプ場としてのみならず、各種野球団体の試合場として使用されているもので、そのスポーツ振興に寄与する役割は決して少なしとせず、しかも現在右野球場施設と同程度の施設を建設するには、少くとも二億円の費用を要するものであるが、いま前記施設を収去して本件土地を明け渡すことになれば、右物件収去のため多大の費用を要するばかりでなく、前記施設は無価値に等しい状態となり、被控訴会社の蒙むる損害は極めて甚大で、もはや倒産のやむなきに至ることは殆ど確定的である。一方控訴人らは本件土地の返還を受けた場合の利用方法について意見が一致していないばかりか、控訴人らにおいて本件土地の明渡を受けなければならない差し迫つた事情はなにもなく、控訴人らの中には、現状では被控訴会社が本件土地を利用するのが最も適切な利用方法であるとさえ考えている者もある。原審および当審における控訴人斎藤哲三、石田政治の各供述中、右認定に反する部分は措信しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかして、被控訴会社が昭和三四年度以降現在に至るまでの賃料を供託していることは、上記判示のとおり当事者間に争のないところである。
右の認定事実によれば上記本件土地賃貸借契約解除の意思表示は権利の濫用に該り、許されないものと認めるのが相当である。
(兼築 高橋 鈴木醇)